今日のパンマス。

quartier.jpの中のページ。

更新再開1768日目。どうにもならなかったことを「なんとかした」方法。

(プレ創刊から3774回目の更新。)
カルチェのパンマスです。
そうそう、久々に糸井さんコラムが
ぼくの中でピンポイント大ヒット。
いやまぁ、ほぼ毎日ヒットはしてるんだけど
ピンポイントで大ヒットしたのは何ヵ月ぶりかな。
いつものようにデスクのパソコンじゃなくて
外でスマホで読んでいたので、忘れないように
すぐコピペして自分にメールしたくらい。
ちょっと抜粋して引用させていただきます。
・・・・・・・・
「あきらめないこと」と、ある人は言った。
「まっ白にならないことです」と、ある人は言った。
「絶望は愚か者の決定です」と、ある人は言った。
「じたばたあがくことです」と、ある人は言った。
・・・・
そうしたら「なんとかなる」のだと言う。
ぼくも、まったくそれに賛成である。
・・・・・・・・
(抜粋引用以上)
ここまで読んで、これ自分のことじゃん、と。
つい先日あったことがそのまま書かれている。
うまくまとめられている。
まさにそのとおりだったんですよ。ある仕事で。
(以下抜粋引用)
・・・・・・・・
勝つとか負けるとか、成功するとか失敗するとか、
結果については保証はできない。
だけど、その袋小路を抜け出す方法なら、ある。
・・・・
「なんとかなる」ほどすばらしいことはない。
「なんとかなる」は、「うまくやった」の同義語である。
同じじゃないけれど、同じようなものだ。
なにかしらを失っていたとしても、
どこかしらに傷をつくっていたとしても、
「なんとかなる」に勝るものはない。
・・・・・・・・
(抜粋引用以上)
そうなんですよ。糸井さんが書いてるとおりです。
失ったものもあり、傷も負ったので
「勝った」とか「成功した」とは違うけれど、
ぼくはなんとかなって、次に進めるわけです。
感動しながら読み進めていくと、最後のほうに
(以下抜粋引用)
・・・・・・・・
「あきらめない」で寝てればいいんじゃないか。
「まっ白にならない」で、さぼっていればいい。
・・・
目の前の穴を掘るよりも、周りをぼんやり眺めていよう。
・・・・・・・・
(抜粋引用以上)
と書かれていました。
これでガーーーーンとなりました。
そうなんです、あきらめずじたばたしながら
ぼくはとりあえず「目の前の穴」を掘っていたけど、
結局どうにもならず、「周りをぼんやり」眺め始めた途端
いろいろな考えが頭の中に湧いてきて、
その中の一つが実現して「なんとかなった」のです。
糸井さん、なんでこんなことがわかるんですか。
もっと早くこれを・・・と言っても、
先にぼくがこれを読んでいたとしても
「ふーん」で終わっていたかもしれん。
実際に体験したあと読んだから、よくわかるんでしょうね。
そんなわけで、これからもたぶん起こることを
これを知っていたら乗り切れると思います。
ありがとうございました。

今日もカルチェに来てくれてありがとうございます。
長々と引用してすみませんでした。